教材:
茶葉10g×2種 25000円(税・送料込み)
内容詳細はページの下にあります。
概要:
今回は製茶がテーマです。
技術の解説をするのではありません。
お茶づくりの現場での自然観察についての話をします。
自然観察から茶葉との対話がはじまります。
茶葉だけでなく、山も、空気も、水も、火も、太陽も、道具も、そして自分の身体ともです。
観察をするほどに、お茶づくりの活動もまた山の一部のように見えてきて、一体化します。
製茶の技術を向上させるのは大事ですが、しかしそれにこだわると、良いのか悪いのか、いかほどか、評価を急いで自分の都合で事実を曲げたり、専門用語で解ったつもりになったり、計測された数値を見て判断したり。
茶葉の声を聞かなくなって、自然とのつながりの薄い活動になります。
2019年秋の紅茶づくりを振り返って、お茶づくりにおける自然観察に注目してみます。
お茶づくりは産地が半分、消費地が半分。
お茶を淹れるときにも茶葉との対話はつづきます。
秋の紅茶づくり:
紅茶づくりは2010年の春からはじめていて、それからほぼ毎年つくっていました。
その間、サイトやブログで紹介していない実験もしています。
最後のお茶づくりは2019年の秋です。
世界がコロナ騒動になる直前の秋、お茶づくりのチャンスを伺って、西双版納のアパートに待機していました。
しかし雨天が続いたため、自然な製茶(手作業と天日干しだけで仕上げる)のお茶づくりができるのは、秋の終わりの短い期間でした。
季節は雨季から乾季へ、秋から冬になる節目です。
雨の日が少なくなると、空気はひんやりしてきて、早朝は朝霧が濃くなり、昼は透き通った青空がひろがります。
西双版納では真冬でも気温10度以下になることは少ないのですが、それでも山は静かになって冬の気配が漂います。
農家は冬支度をします。山の中に住む少数民族は半自給自足生活なので、ふだんの食料をつくるための農作業や正月の準備があります。
この時期は新芽・若葉の数が少なくなり、成長も遅くて、采茶の収穫効率が悪いので(雨季が終わっていない10月はじめに比べると収穫量は4分の1以下です)、規格外の仕事になります。
しかし個人的にはこのくらいの晩秋のほうが旬が濃いと考えています。冬を迎えるための栄養が茶葉に蓄えられるからです。
他の茶商たちが村に来ないので、落ち着いて仕事ができるのもよいところです。
コストがかかること以外に問題はありません。
通い慣れた2つの茶山で紅茶づくりをしました。
その中でも古樹からつくった2つの紅茶が今回の教材です。
ブログにそのときの様子があります。
秋の終わりの涼しい空気が写真からも感じられます。
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【丁家老寨紅餅2019年・秋天 その1.】
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【巴達生態紅餅2019年・秋天 その1.】
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【巴達一芽紅茶2019年・秋天 その1.】
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【老象古樹紅餅2019年・秋天 その1.】
茶葉の旬は春と秋です。
一般的には春のほうがよくて、市場価値も高くなります。
もしも生茶のプーアール茶をつくるなら、秋よりは春の茶葉です。
冬のあいだは葉の成長が止まって根が成長します。
春になって、根のたくわえてきた栄養が新芽に集中するので、エネルギーに満ちた茶気の強い成分構成になります。生茶にはこの春の風味や効能を求めています。
ところが、紅茶はそうでもないと感じていました。
何年かつづけて春と秋と両方をつくってきましたが、より紅茶らしさを感じるのは秋のほうです。
中国茶は”緑茶”・”白茶”・”黄茶”・”青茶”・”紅茶”・”黒茶”と現在は分けられていますが、このように分類されるようになったお茶づくりの起源をたどると、薬効の作り分けから始まったと考えられます。(個人的な見解です。)
紅茶らしさに求める薬効とはなにか?
紅茶以外のお茶との違いはどこにあるのか?
このように考えると、春より秋のほうが紅茶には向いているように思います。
紅茶の”紅”は紅葉の”紅”と同じです。
山の落葉樹の葉が赤くなるのと同じ作用を紅茶づくりに利用しています。
落葉樹の葉が秋に紅葉するのには理由があります。
木が自分の根っこの周りの微生物を殺さないためです。
防虫や防カビのために緑の葉っぱが持っている成分が、そのまま雨で流れて土に浸透すると微生物が死にます。
微生物が死ぬと根っこが栄養補給できなくなるので自殺行為です。
なので、落葉する前に成分変化をおこして、毒となる成分を無効化させています。
茶の樹は常緑樹なので自然には赤くなりません。また、西双版納は亜熱帯なので常緑樹が多くて、山全体を紅く染めるようなことにはなりません。
それでも、山の植物たちは冬支度をはじめています。茶葉もまた冬に備えた体質に変化しているはずです。
(写真は冬葉を加工したもの。)
とくに大きく育った茶葉は、落葉したときに緑の毒をそのまま土に流さないよう、内部で準備をしているように見えます。
緑の毒と言いましたが、緑茶の”緑”はその毒を薬として利用しています。
茶の成分は多くの虫やカビや動物にとっては毒となっても、人間にとっては分量をわきまえると薬になります。
生茶は緑茶の一種に分類されます。”緑”を強調する緑茶には春の新芽・若葉の成分が適しています。
紅茶に求める風味や効能、また、製茶加工での変化(軽発酵)、これらを考えると、秋の茶葉の体質のほうが合っているようで、これまでにつくってきた紅茶を振り返ってみても、秋の茶葉により強く紅茶らしさが現れています。
秋の紅茶は、自然の流れに沿ったお茶づくりができます。
他人に伝える:
「紅茶のつくり方を習いたい」ということで、北京の茶友が巴達山についてきました。
他人に教えるのははじめてですがカンタンなことだと思っていました。ところがカンタンではなかったのです。
自分も経験のないところからお茶づくりをはじめたわけですが、誰かひとりの先生に師事して習ったのではありません。
基本的な知識は書籍などで勉強しながら、現場では見様見真似で覚えてゆきました。要所要所に先生役になってくれた人はいますが、体系的にすべてを習ったわけではないので、他人への教え方を教わっていませんでした。
製茶のあらゆる段階で質問を受けます。
「水分量は何%ですか?」、「温度は何度ですか?」、「時間は何分ですか?」、「この色の発酵度は?」、という具合です。
機械製茶では毎度おなじお茶をつくるのが目的で、このような数値に頼るところが多いのかもしれませんが、自然に任せたお茶づくりではそうはゆきません。
「茶葉の様子を見てください」。
「空気の変化に気付いてください」。
そんなアドバイスは彼をイライラさせるものでした。
フジモトは紅茶づくりを知らないのではないか?と疑って、スマホで検索したり、他の先生に電話したりしていました。
実際には、遠くにいる先生のほうが茶葉も現場の空気もわからないので、どうしたらよいのかもっとわからないことでしょう。
これがキッカケで、茶葉との対話をどうするか、自然観察とはどういうものか、他人に伝えることを意識するようになりました。
製茶の現場で、どんなところを見て感じて判断しているのか、振り返ってみます。
采茶:
紅茶づくりの最初の工程は”采茶”です。
采茶に参加しなければお茶づくりにならないと考えています。
山に入って茶葉を摘みます。もちろん手摘みです。
一芽一葉で摘むか、一芽二葉で摘むか、それとも三葉か、など、茶葉の大きさや形で決めるのが一般的ですが、西双版納の古樹は品種管理されていないため、一本一本の茶葉の大きさや形の差が大きいです。
なので繊維の柔らかさで判断します。
繊維が硬くて揉捻できないものは、その硬いところが柔らかい茶葉を傷つけるので、いっしょに加工できません。
加工前の仕分け作業の手間がかかります。
茎の部分の柔らかさを指でつまんで確かめて、一芽二葉で摘んだほうがよいのか、それとも三葉までいけるのかを、一本一本について調整しながら採取します。
単純作業に見えながら、繊細さを求められるのです。
紅茶づくりをはじめたばかりの頃に、小さくて柔らかい新芽・若葉だけでつくればもっと上等な美味しいお茶ができるのでは?、と考えて試したことがありました。コストのかかる贅沢な作り方です。高級をアピールできるネタですね。
繊維が柔らかく、茶醤と呼ぶ粘着力のあるエキスがたくさん出てきて、揉捻はうまくゆきます。小さな茶葉の見た目は美しいです。
しかし、風味に紅茶らしさが足りないのです。
茶葉の成長度によって成分構成が変わります。
新芽は根から供給される栄養分だけで成長する時期があります。
育って若葉になり、葉緑素が光合成をはじめると、生産活動をする側になります。
この展開からみても、葉の成長度によって栄養構成が大きく変化しているのがわかります。
小さな新芽・若葉は軽発酵で変化する成分が少ないため、変色の余地が少ないです。
大きく育つほどに変化する成分が多くなり、紅茶が紅茶らしくなりやすいのです。
もしも紅さを強調したければ、あるていど成長した葉を集めたほうが良いということになります。
上: 小さな新芽・若葉
下: 大きく育った新芽:若葉
例えば、半発酵で仕上げる青茶(烏龍茶)は、采茶する茶葉の成長度、そのタイミングを重視しています。軽発酵度の調整が烏龍茶の個性となる香りを決めるからです。生茶(緑茶)に比べると烏龍茶(青茶)は成長がすすんでやや硬くなったくらいに育った若葉の使われることが多いですが、それは軽発酵の精度を求めてのことだと思います。
軽発酵の精度を重視すると、品種管理の栽培技術が必要になります。
クローン栽培によって一本一本の茶葉の大きさや形や繊維の質、成長のスピードを揃えて、采茶のときに均質な鮮葉を収穫することが、烏龍茶づくりではもっとも大事な技術かもしれません。
烏龍茶はお茶の名前に品種名のつくのが多いわけです。
中国紅茶の中でも祁門紅茶は小さな新芽・若葉で構成されていますが、しっかり紅茶らしい風味があります。小さな茶葉であっても、紅茶になりやすい成分構成なのだろうと推測します。製法だけでなく、そもそもの品種特性が違うのです。
西双版納の古樹は一本一本の異なる個性が混在していて、茶葉の大きさや形や繊維の質、成長度が揃わない鮮葉が収穫されます。製茶における軽発酵の精度は求めにくいです。
一本一本の個性が揃わなくても、茶樹が育っている山の斜面の環境、つまり山ごとの個性が品種特性を形成します。
それで西双版納のお茶には山の名前がつきます。高級になるほど、山のどの地区にあるのかさらに細かな分類が求められます。
お茶づくりの理想が烏龍茶の地域と西双版納では異なります。
采茶はお茶づくりの工程でもっとも長時間におよぶ重労働です。
ひとりで采茶できる分では、一日かかってほんの一握りのお茶しかつくれないでしょう。
どんなに少量生産であっても人手が多くいるので、村人たちに臨時のアルバイトをお願いします。
また、製茶作業のために体力を残しておきたいので、われわれが采茶にフルタイムで参加することはありません。
それでも、ほんの1時間であっても、采茶に参加して自分の指に茶葉の感触を憶させるのがよいです。
指にどんなことを記憶させるべきか、それを予め知っておく必要はありません。
茶摘みをするだけで無意識のうちに指が茶葉と対話して、なにかを記憶しています。
メモをとったりしないほうがよいでしょう。メモは言葉に置き換えられる情報だけを重視することになるからです。
指の記憶だけではありません。茶樹の生息する斜面に立って、周囲の地形、日当たり、風当たり、草木の生態、土の柔らかさ、などから醸し出されるその場の印象を身体ぜんぶで記憶します。
このときの記憶が製茶のいたるところで判断を助けてくれます。
人の管理:
自然観察から話が逸れますが、お茶づくりに関わる人の管理も大事です。
とくに采茶の作業は他人の手を借りなければできないからです。
辺境の地の山の人たちは思うように動いてはくれません。
私もはじめはそうでしたが、北京の茶友も同じ間違いをしていました。
都市生活者の仕事へのモチベーションやモラルが、山の人たちにも通用すると思っていたのです。
この勘違いから作業のミスが頻発して、何度も痛い目に会っています。
茶葉は鮮度が命です。
摘んだ瞬間から変化がはじまっています。
例えば、朝摘みか昼摘みか、最初のと最後のと6時間くらいの差があります。涼しいところに寝かせて、水分がなるべく均一に保たれるように布をかけるなどして、変化の差が大きくならないようにします。
管理の悪いものの中には、朝から袋に詰められたまま太陽光に蒸されて、袋の中で意図しない軽発酵がすすんでいるものもあります。せっかく手摘みのクオリティーが台無しになります。
なにも言わなければ、山の人たちは自分たちのやりやすいようにして、面倒なことは一切してくれません。
産地と消費地が遠く離れているため、産地の人からはその価値が想像しにくいのです。
山の人の生活や農業作業のカタチは、その地域の気候や自然環境や経済の仕組みに適応して完成したものです。仕事へのモチベーションやモラルはその地域にあわせた合理性があります。
詐欺的な行為や泥棒が多いのも、地政学的要因というやつです。
地域の事情に合わせて仕事を段取りするのみです。
インドやスリランカの紅茶づくりは、大きな会社のプランテーションですが、采茶の人手は外国から安い賃金で雇った人を宿舎に住み込みさせて、強制的な管理ができるようにしています。
人の管理についての価値観が異なります。
この違いがお茶の性質に反映されていると見ています。
人と自然の関わり方は、その地域の生態環境にも影響を与えています。
山の中での人の活動が、植物たちの植生を変え、あらゆる生き物たちへ波及してゆき、お茶の樹や茶葉の成長にも影響を与えるはずです。
人の管理が思い通りにゆくから、上質なお茶ができる・・・・というわけでもなさそうです。
思い通りに動いてくれない山の人たちだからこそ、手垢にまみれない素朴で力強いお茶ができる・・・・という因果関係があると思います。
自然に対する立ち位置、上から目線と下から目線と。自分がどの立ち位置から自然と付き合うのか考えてみる余地があります。
話のついでに、製茶作業には 食事が大事ということを書いておきたいです。
心が折れそうになる重労働が何日も続くので、しっかりご飯を食べて体力を維持します。
仕事へのやる気や忍耐力を左右するので、他人よりも良い仕事をしたければ、良い食材と炊事の人手の確保にはお金を使うべきです。
山や茶樹の状態が良くても、人が健康でなければ良いお茶はできません。
製茶場の空気:
製茶場は山の農家の村にあります。
お茶の種類によって製茶工程は様々ですが、すべてに共通しているのは、なんらかの方法で茶葉の水分を抜いて乾燥させるということです。
摘みたての鮮葉の重量は、乾燥するとだいたい4分の1から5分の1になります。
この紅茶づくりでは機械を使わず、常温の乾燥のみで仕上げます。殺青で火入れする生茶づくりよりも乾燥に時間がかるので、製茶場の空気がより仕上がりに影響します。
科学的な根拠はありませんが、茶葉を採取したところと同じ空気で加工するのが望ましいと考えています。
近年は道路が良くなって、半日以内に近くの町まで鮮葉を運べるようになったので、山から離れて設備の整ったところで製茶するケースも増えていますが、空気が変わるのは良くないと考えています。
例えば、お茶を淹れる湯を沸かすのに、炭火とガス火では、たとえ湯の温度は同じでも淹れたお茶の味は異なります。熱には振動の違いがあると見ています。
空気にも同じような振動の違いがあり、温度や湿度や気圧では測れない、なにか別の要素が茶葉にプリントされます。
なので少々不便でも、茶葉を採取したところから遠く離れない村の農家の製茶場で加工したいのです。
采茶の契約をする農家の製茶場を借りるので、選べるわけではありませんが、村には何箇所か製茶場があり、その一軒一軒に違いがあります。
例えば、脇に小川が流れていて常に湿度が高くジメッとした製茶場もあれば、高台にあって日当たりや風当たりがよくカラッとした製茶場もあります。地面がコンクリートなのか土なのか、それだけでも茶葉の乾燥にかかる時間は変わってきます。
部屋の位置によっても異なります。太陽の角度、風の向き、建物の方位や間取り、窓の配置、ひとつの部屋の中にも空気には差があります。
もしも直射日光が強ければ日陰に移動させます。乾いた風があたるようなら布をかぶせて保湿して、茶葉全体が均一に乾くようにします。夜露の多い山なら戸口を締めて外気が直接当たらないようにします。道路に近ければ散水して埃が立たないようにします。
このように個別の事情に対応することが現場では大事です。
毎日おなじ製茶場で仕事をしている現地の人ならあたりまえになっていて、それほど意識しなくても空気の変化に対応できますが、短期間だけ滞在するわれわれは注意する必要があります。
製茶場の個別の環境を把握するのも自然観察のひとつです。
集中力を要するので、お茶づくりの時間はいつもピリピリしていました。
2019年秋の紅茶づくりをした2つの茶山は、自分にとっては過去に何度もお茶づくりをしたところで、農家の製茶場にも慣れていました。
部屋のどのあたりに日光があたるとか、湿気がこもるとか、何時になると風当あたりが強いとか、個別の事情を知っています。
製茶場の一日の空気の変化を身体が記憶しています。
例えば、午前0時をまわると気温が急に下がって乾燥がすすまなくなるので、萎凋はそれまでに終わらせてつぎの揉捻の工程にすすむべき・・・・とか。朝はどの山のほうから太陽が出て、夕方はどの山に沈むので、直射日光のあたる時間はあとどのくらいだとか。
経験をとおして予測できるようになっています。
自然の流れと製茶の流れとがピッタリ息が合って同調することがあって、そんなときは奇跡を見ているような気がします。自分の意思や手がお茶をつくっているのではなくて、山の意思が私の手を使ってお茶をつくろうとしているような、大きな力に動かされている感覚になります。
製茶場をとりまく自然の環境、夕方の雲の形と遠景のかすみ具合や、月の色や周囲の雲や、秋の夜に鳴く虫の声や、地面の草が夜露に濡れる感じや、早朝の濃い霧の感じ。これまでに何度か良いお茶がつくれたときと共通する空気。
自然との一体感を感じる幸せは、お茶づくりだけでなく様々なモノづくりにあると思います。スポーツや趣味にもあるもかもしれません。
紅茶づくりは夜の作業が長くなります。
晩秋の深夜の冷たく澄み切った空気は心をシンとさせますが、その空気の振動が茶葉にプリントされて、お湯を注いで淹れると再生されるように感じます。
手の記憶:
例えば、揉捻の手加減はどうやって決めるのか。
茶葉の水分が抜けていったり、成分が変化していったり、繊維がほぐれて柔らかくなったり、それをどうやって読み取るのか。
これを他人に伝えるのは難しいことです。
なにか数値を測っているのではなくて、その時の感覚で決めているからです。
その感覚は手を動かせばわかってくるのですが、手を動かす前からわかるものではありません。
とにかく手を動かして、茶葉と対話するしかありません。
紅茶づくりにおいては、鮮葉が紅くなってゆく、そのおおまかな流れと意味さえ知っていれば、後は手に任せておけば大丈夫です。
茶葉と交信している”手”や”眼”や”耳”や”鼻”が変化の兆しに気付いてくれます。
萎凋の頃合い、揉捻の頃合い、軽発酵の頃合い。これらは何度か実験して、意図的に過不足になるサンプルをつくったりもして、頃合いを探っています。この経験を生かしていますが、それでも何らかの数値で決めることはできません。
茶葉のみならず、それをとりまくあらゆるコンディションが毎回異なるからです。
茶葉の変化を知るためにも采茶から参加して、手の感触で順を追ってゆくのがよいのです。
采茶のときの指の記憶があるから、萎凋で萎れた茶葉がどのくらい柔らかくなったのか、その変化がわかります。
つぎの工程の揉捻に耐えられるほど繊維が柔らかくなったかどうかは指でわかります。
揉捻をどこまでしたらよいのかは手のひらが気付いてくれます。茶葉の繊維の反発力や茶汁の粘着度を感じながら揉み続けると、どこかの時点でなにかが変わった感触を得ます。
紅茶の紅茶たる理由を前提にしたら、手のひらで感じる変化は意味の深いものになります。
同時に香りや色の変化もあるのですが、わざわざ注意していなくても、鼻や眼がその兆しに気付いてくれます。
「何分揉捻したらよいですか?」という質問には答えられません。
一連の流れを追いかけていると潮目のようなところに気付いて、その加減がわかるようになります。
次の工程の、軽発酵の頃合い、晒干の頃合い、圧餅の頃合い、これらも同じことです。
過去のオリジナルの紅茶は揉捻を機械と手揉みとの両方でつくっています。
機械揉捻の頃合いが良かったのか悪かったのかは、実は今でもはっきりしません。美味しくできたからたぶん良いのでしょう・・・・という程度のあいまいなものです。
しかし、自分の手で揉捻したのはわかっています。茶葉の変化の流れをすべて把握しているので、もしも完成してから疑問に思うところがあれば、どの工程の手加減が影響しているのかを推測できます。
お茶づくりを学びたいなら機械製茶をしていてはダメです。手で覚えることです。
日照サイクルと山の風:
このお茶づくりでは、日照のサイクルが製茶のスケジュールを決めます。
「晩秋になるほど茶葉の旬の成分が濃い」と話しましたが、そのかわり製茶においてこの季節はやや不利な条件になります。
太陽の熱を利用して軽発酵をうながしたり乾燥させたりします。機械で加温することのないこのつくり方においては、日が短く気温の低い晩秋は加工に時間がかかります。
しかし、晩秋になればなるほど雨の少ない乾季となり天気は安定します。
また、気温が低いので、茶葉が望ましくない変化をするようなトラブルにはなりにくいです。
時間がかかっても失敗は少ないのです。
太陽の熱が得られるタイミングを計算しながら製茶をすすめます。
製茶場の日照時間は7時間ほど。光の角度が浅いと十分な熱を得られないので、実質4時間くらいが製茶に利用できる太陽です。
一日24時間からしたら6分の1以下の時間です。
(写真は鮮葉の萎凋を促すために夕日にさらして茶葉を温めている。気温が低くて風があるので意図せぬ変化はない。)
もっとも太陽の熱が必要な工程は晒干です。
農家の製茶場で済ませる一次加工の最終段階です。
茶葉をカラカラに干して、山から町へ運び、二次加工の圧餅をします。
晒干(天日干し)には、軽発酵と乾燥と、2つの変化を期待しています。
茶葉を紅く変化させる軽発酵は、布袋の中に茶葉を詰めて温度を保って醸す軽発酵の工程だけではなく、その後の晒干でもすすみます。
上: 揉捻
中: 軽発酵
下: 晒干
写真を見ても、晒干の段階でさらに紅く黒く変色しているのがわかります。
茶葉に水分が豊富にあるうちは、太陽に熱せられることで酸化酵素が作用しやすく、茶葉の変色がつづきます。
この製法においては晒干での変化も含めて軽発酵を調整します。
乾燥するにつれ、酸化酵素の働きが鈍くなります。乾燥しきると変化が止まります。
変化が止まって安定した状態になってから、山から町へ運ぶことができます。
太陽の熱がもっとも上がる角度は正午から15時くらいまで。このゴールデンタイムに軽発酵をすすませながら乾かしたいわけです。
正午までに乾きすぎてもいけないし、湿りすぎていてもその日のうちに乾かないし。
このタイミングに合わせるように、それまでの工程のスケジュールを調整します。
気温の低い晩秋なので、たとえ茶葉が水分を持っていても意図しない変化は起こりにくいです。
当日の太陽に間に合わないときは、翌日の太陽を待つことができます。
晒干には山の風についても考慮する必要があります。
天気の安定している晩秋の季節の山の風は、だいたいきまった時間に同じ方向から吹いています。
山の斜面が太陽で熱せられて気流が発生し、山の谷を伝って上がってくる流れがあり、その支流の一部が製茶場にも流れてきます。
洗濯物を天日干ししている方ならわかると思いますが、服が乾くのは太陽光だけでなく風の流れの効果も大きいです。
茶葉も同じです。
晒干は見た目にはたいした技術がないように見えますが、太陽の熱や山の風のことを考えると、この技術の奥深さがわかるはずです。
製茶場ごとにコンディションが異なります。太陽と風を把握しておくことが大事です。
鮮葉を山から製茶場に持ち帰ったときから、常に晒干のタイミングを意識しながら工程のスケジュールを調整します。
もしもそれまでに乾きすぎることがあれば、霧吹きで茶葉を保湿することもあります。
軽発酵が足りなければ、茶葉の入った布袋をプラスチックバッグに入れて、布団の中の体温で温めることもあります。
機械で蒸らしたり乾かしたり、強制的な加工をしないので、コントロールには限界があります。
紅茶を”全発酵”のお茶と定義するなら、器械で調整しなければできないでしょう。
この製法では、全発酵という数値があるのなら、それに対して半発酵くらいがよいところです。
それでよいという考えです。
(機械製茶の紅茶の葉底は全体がまんべんなく紅く変色している。)
西双版納の有名茶山の古樹で、ほんらいは生茶として高級になる素材で紅茶をつくるのが一時的に流行ったことがありました。市販されている茶葉を見ると、だいたいどれもしっかり紅い色をしています。機械製茶で強制的に軽発酵させています。
紅茶とはこういうものだという消費者の需要に合わせてつくられています。
つくる側としても、評価基準が固定されていたほうがやりやすいです。
個人的に、軽発酵が中途半端でもよいと判断したのには理由があります。
いくつかのサンプルを取り寄せて飲み比べたところ、強制的に軽発酵させたものは”涼しさ”と”潤い”に欠けます。その多くが飲んだ後に喉が渇くような感じがします。
お茶の風味ではなく体感を重視しています。
たとえ軽発酵は不完全でも飲んで心地よいのは自然乾燥のほうです。
製茶場の空気がそのままプリントされている茶葉のほうが健康であるという考え方です。
熱の作用と質:
この紅茶は圧餅で完成します。
プーアール茶のように圧延して円盤型に固めます。
山での製茶は一次加工。その後の製茶は二次加工。このように分けています。
二次加工での自然観察は、より茶葉に集中してゆきます。
茶葉の様子の変化を見たり、試飲して確かめたりして、茶葉との対話がつづきます。
圧延の前に茶葉を蒸します。
蒸すことで柔らかくして、でんぷん質の粘着力を引き出して、石型で圧したときに茶葉と茶葉がくっつくようにします。
蒸して固めるのは紅茶では一般的ではないですが、この製法では必要だと考えています。
蒸すときの熱による火入れによって、ひとことで言えば茶葉が安定した状態になります。
この熱について、いろいろ考えてきた過程を振り返ります。
まず、ここまでの工程では殺青ができていません。
殺青とは、茶葉が生まれながらに持っている酸化酵素を70度以上の熱で死活化させることです。紅茶の茶葉を紅く変色させてきたその成分です。この火入れのことを殺青と呼びます。
殺青ができていないお茶は、保存時のちょとした湿気で変色してゆきます。
”月光白”は雲南の茶葉でつくられる白茶の一種ですが、製茶の歴史が浅いせいか、製法に勘違いがあって、乾燥時に熱風乾燥をせずに常温乾燥のままで仕上げたものが少なからず市場に流通しています。
保存期間1年もしないうちに緑が黄や紅や黒に変色するものが多いです。風味も体感も白茶に求めるものが失われています。
圧餅する紅茶はプーアール茶のように20年・30年と長期熟成ができるよう、殺青しておきたいわけです。
蒸すくらいの熱で殺青になるのか?
結論から言うと殺青効果はあります。
ただ、他の種類のお茶の殺青方法に比べると弱いです。
例えば、プーアール茶の原料である晒青毛茶は鉄鍋で炒って殺青してあります。鉄鍋で炒るのは、例えば4キロ鮮葉なら15分ほどかかります。鍋の表面温度390度になったところに鮮葉を投入します。鮮葉は8割が水分です。熱伝導率が良いので茶葉の隅々まで熱が通ります。また、水分の多い炒り始め数分のうちは水の沸点を超えた高温にはならないので、焦げにくいです。
一般的な紅茶の場合、軽発酵を終えた段階で熱風乾燥します。この段階でも茶葉に6割ほど水分が残っているので、殺青の効果が得られやすいです。
圧餅の紅茶は、いったん晒干されてカラカラになっている茶葉に熱をとおします。
乾燥している状態では、熱が芯まで伝わりにくく、表面が焦げやすい。
”蒸す”という加熱方法は、この問題を解決します。
ここで、蒸しの時間についての疑問が出てきます。
圧餅の蒸し時間はプーアール茶なら1分ほどです。
これは高圧の蒸気が出せる設備によるものです。
(プーアール茶のメーカーによくあるボイラー。圧餅や熱風乾燥の熱源。燃料は石炭。)
プーアール茶の製茶技術の伝承は1980年代でいったん途切れています。
(詳しくは通信講座#001 ”生茶はなぜ黒茶だったのか”を参照してください。)
茶業の民営化のはじまる1990年代以降は、生産効率を追求するあまり、ただ散茶を固めるだけが目的の圧餅になっていると思います。
蒸し時間の1分間は、短時間での処理が追求されていて、その熱の作用については考えられていません。
旧式のものは、薪の火で釜の湯を炊いて、鉄鍋を天地逆にした蓋をかぶせて、中央の穴から吹き出る蒸気で茶葉を蒸していました。圧力が弱いので温度は100度にも達しないでしょう。
蒸し時間は2分以上かかっていました。
ちょっと古い工房では近年までこれが残っていました。私のオリジナルのお茶では2010年から2014年くらいまでこのタイプで圧餅したことがあります。
現在は小型の高圧蒸気の機械が普及して、薪の火で釜を炊くタイプはほぼ消滅しました。
高圧の場合、圧力鍋とおなじく120度くらいの高温になります。
120度もあると茶葉との温度差が大きすぎて、そのショックで繊維を傷めます。火傷をしたような状態になります。
泡茶のときの茶葉に、いきなり熱々の湯を当てるのと同じです。
熱い湯が当たった直後の茶葉に耳を近づけてみてください。パチパチミシミシと繊維の壊れるような嫌な音がしています。
傷めた繊維から辛味や渋味の刺激が出やすくなります。
また1分や2分で茶葉の芯のところまで熱が入るとは思えません。
圧餅をメーカーや工房に代行してもらうと、人件費やエネルギーコストの問題で、ゆるい蒸気で長い時間をかける作業はできないので、家で自分ひとりですることになりました。
家庭のキッチンの調理器具で蒸すのは素人っぽく見えますが、熱は柔らかく茶葉の繊維を傷つけず、時間をかけて芯まで温めるので、都合が良いのです。
蒸し時間をいろいろ試した結果、180gの茶葉に対して10分から12分ほど蒸すのが適当であるとわかりました。
茶葉を柔らかくして、でんぷん質の粘着力を引き出して、なおかつ、茶葉の芯まで熱がとおり殺青効果の現れる蒸し時間です。
ここで、新しい課題がでてきました。
蒸し時間が長くなると、茶葉に水が入り込んで、意図せぬ変化につながるのではないか?
結論から言えば問題はありません。
これは、蒸し饅頭を例にするとわかりやすいです。
蒸し饅頭は、蒸籠で蒸しながら販売されていますが、時間が経ってもふんわりしていて、ベチャッと水っぽくなったりはしません。
蒸気の温度よりも饅頭の温度の低いうちは水が入りやすいですが、饅頭の温度が上がると水は蒸発しやすくなって外に出ます。
茶葉も同じです。
蒸気と同じ温度まで上がると、それ以上水が入らないのです。
圧餅後の重量差を0.1g単位のキッチンスケールで量りましたが、メーカーの高圧蒸気の圧餅後の水分量と大差がないことを確かめています。
茶葉が芯まで熱くなると、圧餅後の乾燥時にも水が外に逃げやすくなって、乾きが早くなります。
今回の教材の紅茶2種は、家庭の蒸し器で蒸したものです。
圧餅の石型で圧す作業についても、独自の考え方で行うようになりました。
蒸した茶葉を布袋に詰めて石型で圧し、人が上に乗ってユサユサします。石型19キロ+体重64キロ=83キロです。
これを10分から12分。
ちょうど蒸し時間と同じで、つぎの茶葉を蒸している合間にできます。
メーカーや工房ではせいぜい1分なので、約10倍の時間をかけています。
熱と蒸気で繊維が柔らかくなった茶葉です。揉捻のつづきを行うチャンスです。
揉捻によって茶葉の中のバラバラの成分が混ざって、様々な変化が起こります。紅茶がより紅茶らしくなるために、この変化が必要です。
殺青されたことで熱に反応した成分が新しいカタチになっているはずです。これと熱に反応していない成分を混ぜ合わせて、変化が起こるのを期待しています。
”鮮味”を少しでも弱める効果があります。
圧餅前の、散茶の状態の紅茶を現地のお年寄りに飲んでもらうと、多くの人が”鮮味”が強いことを指摘します。
ピリピリした辛味、シワシワする渋味、ツンとした香り、茶葉だけでなく生の状態の葉っぱモノにありがちな、新鮮な味です。
刺激的で爽やかですが、この味覚には身体を冷やす作用があり、過剰に摂ると消化器への負担もあり、お年寄りにとってはマイナスな印象です。
中国茶の魅力は医食同源の知恵があることです。
お茶の味は身体への影響を現しています。
お茶によって様々な製茶方法がありますが、鮮味を弱める方法は火入れと揉捻で共通しています。
この製法の紅茶では蒸した後の圧延による揉捻がもっとも効果的です。
左: 圧餅の前
右: 圧餅の後
茶湯の色の変化を見ても、軽発酵が少しすすんだ様子がうかがえます。
試飲したときの口感も体感も柔らかくなって、鮮味が弱くなったことがわかります。
このように試飲して確かめることが二次加工の段階では多いです。
比較しなければ分かりにくいので、サンプルとなる茶葉をたくさん集めておくのが大事です。
圧餅後の乾燥は、晒干と涼干を何日か繰り返して、あくまで常温で乾燥を待ちます。
熱風乾燥の設備で乾燥するのとは異なる効果があると思いますが、それを理屈で説明できません。
熱風乾燥と常温乾燥とのサンプルをいくつもつくって飲み比べた経験から、そう判断しています。
熱の作用は複雑で、まだ探求の入り口に立ったところなので、今後も解釈が変わってゆくと思います。
新しい解釈はまたブログなどで紹介します。
泡茶:
お茶づくりは産地が半分、消費地が半分。
お茶を淹れるときにも茶葉との対話はつづきます。
ここまでの文章を読んでみて、このお茶を自分で淹れて確かめてみたいと思えたでしょうか。
茶葉との対話が多いほどお茶づくりは繊細になります。
繊細なお茶は、お茶淹れにも繊細さを求めます。
メーカーのつくる量産品は繊細さが無いからダメというのではありません。
お茶を淹れる人の需要に合わせてつくられています。
荒っぽく扱っても、淹れ方を工夫しなくても、安定した美味しさで飲める。茶葉との対話など面倒なことさせないでほしい。
その行きつく先はこれ以上傷けられないほど茶葉をザクザクに崩しておくことです。高温処理であらかじめ火傷させてあるので、火傷させないように淹れる工夫をしなくてもよいです。
カンタンを求めている方が間違ってこの教材を買うことはないと思いますが、それでも念の為に、「この教材の紅茶は難しいです」とお伝えしておきます。
茶葉との対話ができれば、光り輝くような美味しさに出会えることもあります。
今回の教材の茶葉は少なくとも4回は試せます。
毎回お茶淹れの工夫を変えてみるなどして探りつつ、茶葉と対話してください。
教材の詳細:
#005
茶葉との対話:
茶葉10g×2種 25000円(税・送料込み)
(※教材によって茶葉の量は変わります。)
今回のお茶10gは約4回分です。
100ccくらいの茶器なら1回2.5gほどで淹れることをおすすめします。
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【教材のご注文】
老象古樹紅餅2019年・秋天
製造 : 2019年10月26日采茶
茶葉 : 雲南省西双版納州孟海県巴達山怖司寨古樹
茶廠 : 農家+ふじもと
工程 : 雲南紅茶
形状 : 餅茶
保存 : 茶箱
やや難しいお茶です。
茶葉の個性を読み解く必要があります。
采茶を担当した農家が間違って、古樹から一芽一葉の細かな新芽・若葉だけを集めた鮮葉を私が引取り、製茶しました。
上の説明のとおり、大きく育つまで待った茶葉のほうが紅茶らしいお茶に製茶しやすいので、この一芽一葉の鮮葉は紅茶をつくるのにも難しい性質だったことになります。
180gサイズの餅茶にして2枚分なので鮮葉は2k弱。
少なすぎて軽発酵は温度が上がらずうまくゆかなかった記憶があります。
お茶を淹れて飲むと個性が際立ちます。
苦味の強いのは老象山の個性です。巴達山の愛尼族の村の怖司寨に近いところです。
熱に敏感に反応するのは、新芽・若葉の性質です。
茶器選び、湯の温度、注ぎ方、いろいろ工夫してみてください。
湯を注ぐ前に、茶葉を数滴の湯で少し蒸らして、熱に慣らしておくのがよいでしょう。
ブログに書いてみました。
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【老象古樹紅餅2019年・秋天 その3.】
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【老象古樹紅餅2019年・秋天 その4.】
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【老象古樹紅餅2019年・秋天 その5.】
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【老象古樹紅餅2019年・秋天 その6.】
丁家老寨紅餅2019年・秋天
采茶 : 2019年11月19日
茶葉 : 雲南省西双版納州孟臘県漫撒山(旧易武山)丁家老寨古茶樹
茶廠 : 農家+ふじもと
工程 : 雲南紅茶
形状 : 餅茶
保存 : 茶箱
オリジナルの紅茶の中ではもっとも満足のゆく出来です。
大葉種の中の大葉種。
もともと茶葉が大きめな上に、秋の遅い時期の采茶で、繊維の硬さは手づくりの紅茶では限界ギリギリのところです。
紅茶になりたがっているような茶葉です。
注ぐ湯の熱がしっかり茶葉の芯まで入るように工夫してください。
陰の茶酔いが美しいお茶です。
ひとりで飲むのがベストです。
集まるとしても3人まで。お茶を飲む3煎から4煎まではおしゃべり無しにしてください。
山の気は人の気を嫌います。
あとがき:
通信講座#004の前回から今回の#005の作成に半年以上かかりました。
時間のかかった理由は、言葉に置き換えられるほどに理解していることが少ないからです。
あのときの感覚はなにだったのか?
なぜそのように閃いたり、身体が動いたりしたのか。
直感でしていたことに後から理屈をつけるのは、つくりごとをしやすくて難しいです。